きまぐれ感想文☆

好きなことを好きなように見た感想を、気が向いたら書いていきます☆

Bunkamura 30周年記念 シアターコクーン・オンレパートリー2019『罪と罰』。

 

元々チケットを取っていたのが行けなくなってしまって、半ば諦めていたのですが。
やはり観ておきたいと思い、先日、時間を作って行ってきました。
白石加代子さんと藤原竜也さんの『身毒丸』以来のシアターコクーン当日立見券です(苦笑)
いやー、買えて良かった。

 

始まってすぐに思ったのが、これはものすごくセリフが大変そうだ、と言うこと。
説明的な台詞も多いし、とにかく登場人物の名前が言い難そう。
滑舌が良くないと名前一つまともに聴かせられないと思います。
ラスコリニコフ、ラズミーヒン、マルメラードフ、ザミョートフ、……。
「スヴィドリガイロフさん!」に至っては、あんなに何回も何回も言っていたら、私なんかは舌を噛むんじゃなかろうかと思います。

 

そうそう。
「スヴィドリガイロフさん!」と何回も言っていたのはソーニャを演じていた大島優子ちゃんだったんですけれども、もうね、すごくびっくりしました。
すごく綺麗な発声になっていて。
私は優子ちゃんをステージ(舞台)で観たのがAKB以来で、 ドラマや映画なんかでは目にしていましたが、 舞台のお芝居を観たのは今回が初めてでした。
だからあんなに綺麗な声が出せるようになっていたなんて知りませんでした。
もうずっと、ちょっとかすれ気味の声のイメージだったので、本当に、誰かと思うくらい驚きました。
すごく必死に頑張ったんだなと思います。
前田敦子ちゃんの滑舌と発声が変わったときと同じくらいの衝撃でしたよ。
ボイトレって凄いなと痛感します。
いつどんな風に変わったのか私には想像も出来ませんが、その過程をしっかり見ていたファンはすごく楽しかっただろうなと思います。
好きな子が素敵に変化していくのは、それがどんなに小さな変化でも、ファンとしてはとてもエキサイティングですごく嬉しいことなんじゃないかと思います。
少なくとも私はそうです。

 

優子ちゃんがすごかったのは発声だけではなく、あの役者さんたちに全く負けていなかったこと。
特に印象的だった場面が二つあって、一つは前半ラストに、ソーニャの友人・リザヴェータに手をかけた犯人を知っている。戻ってきたら教える。と言い残してラスコリニコフが去った後に祈りを捧げる場面。
この時の衣装が白だったんです。
娼婦としての、否応なく女であることを表すような赤い衣装から、汚れのない聖女を、許しを表すかのような白い衣装へ。
白い光の中で祈るソーニャの表情は、ただ信仰だけがある様な無垢なものであるように感じました。
この時、ソーニャが何を何のために祈ったのか。
リザヴェータのためか、ラスコリニコフのためか、未だ知らぬ犯人のためか。
私にはわかりませんでした。

もう一つは後半の、三浦春馬くん演じるラスコリニコフが自分の罪を告白する場面。
ここは春馬くんと優子ちゃんのタイマンです。
あの春馬くんの熱量を受けてびくともしないで受け止めて、やり返す。
受け止めてやり返すと書いたけれど、でも実は、薄氷の上を歩くみたいな気持ちでもあったんじゃないかなと思っていたりもします。
度胸と執念だなと思いました。
大島優子ちゃんの度胸と執念を見たような場面でした。
そして、ソーニャはラスコリニコフの良心なのかもしれないと思いました。
ラスコリニコフがソーニャを通して自分と対話しているように見えたんです。
でも、ソーニャに視点を移すと、しっかりとソーニャは生きている。
ラスコリニコフの分身ではなく、ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワと言う深い信仰心を持つ一人の人間として。
この構造が他の登場人物にも当てはまっていて、とても面白いなと思いました。

 

罪と罰』ではラスコリニコフを中心に、その周りを衛星の如く取り巻き廻るたくさんの人たちの生き様も描かれています。
舞台の上で、主役ではない役たちも、一人一人が本当に生きている。
そのキャラクターにはこれまで生きてきた時間があって今があって未来がある。
一人一人に見せない思いがあって考えがある。
そして、それが生ものの迫力として見えてくる。
だからこそ、受け手の人たちに舞台の上の出来事を他人事ではなく感じさせることが出来るのじゃないかと思います。

 

それから、麻実れい様が、今回もますます素敵でいらっしゃいました。
良家の生まれだけど貧しさで卑俗に落ちぶれた女、みたいな役どころだったのに、本当に格好良くて美しかったです。
カテリーナの心の強さや愛、誇りみたいなものが滲み出る様でした。
滲み出る。
そう。麻実れい様はいつも役の内面を滲み出させて、ものすごく魅惑的な気を放つんですよ。
毎回、ほわぁああっ!てなります。
最後に道化の格好をしたカテリーナが息を引き取る場面。
中空に差し伸べた手の形がとても美しかったです。
落ちぶれた姿であっても、その最後の仕草に良家の生まれであることの誇りと家族への愛の深さを垣間見る様でした。
なんとなく、神様を信じたくても信じると言えなかったカテリーナは、その最期のときに神様に縋ったんじゃないかと思いました。
娘たちを守って欲しい、と。

 

ずっと辛気臭い感じで時間が経って行くイメージを持っていた『罪と罰』でしたが、意外にもユーモアがたくさんあったことに驚きました。
登場人物の言っていることに、思わずフフフッと笑ってしまう場面が結構ある。
それも結構深刻な場面で出してくることがあるから、笑っていいのかわからない人も多かったんじゃないかなと思います(苦笑)
私の個人的フフフッは、馬車に轢かれ、息を引き取りそうになっている夫に、カテリーナが恨み言をまくし立てる場面。
夫を看取りに来た司祭(?)が、最期には許しが必要、みたいなことを言い出すんですよ。
でも、夫の酷い所業を見せられていた私としては「嘘でしょ!? これ以上まだ許すの!?」と思ったんですね。
そうしたら、その直後にカテリーナが「今まで散々許してきた。これ以上まだ何を許せって言うの!?」と言うようなことを言ったので、本当よね、と、ちょっと笑ってしまいました(苦笑)
罪と罰』のユーモアには、ちょっと落語っぽさがある様な気がしました(笑)

 

役者さんたちの声を使った効果音も凄かった。
狂気に飲み込まれていく過程での女の子のヒステリックな笑い声なんかは、ラスコリニコフが精神的に追い詰められていく不安を自分のものとして感じられる様でした。

 

そして舞台美術。
冒頭の雑踏の場面ではとても映像的に見えていた舞台画面が、すごく絵画的に感じられるようになっていたのが面白かったです。
舞台上のあちこちに電気スタンドが立つように、ぼんやりとオレンジ色の灯りが灯る場面は特に絵画的で、バロック絵画みたいだな、と思いました。
ただ、バロック絵画は『罪と罰』の舞台とは時代が違うのでちょっと不思議な感じがしたのですが、キリスト教と関わりが深かったり、強い明暗があったり、劇的であったりと双方に割と共通点があってそんな風に思ったのかもしれません。

 

実は、話のイメージから、今回の舞台は退屈してしまうかもしれないな、と思っていました。
けれどもそんなことはなくて、まあ、お話自体はちょっと感情移入しにくいものではあったけれど、現代との共通点や見どころがたくさんあって、最後までとても面白く観られたことにとても驚きました。

 

もっとたくさん書きたいことはあるんです。
でも、終わらなくなってしまいそうなので、このくらいにしておきたいと思います(笑)

 

そう言えば、立見で隣同士になったお姉さまと少しお話をしたんですけど、「私たちの若いときはドストエフスキーを読んでいるのは一般常識みたいなものだったから」と仰っていました。
私は全然読んでいなかったのでちょっと恥ずかしいなと思いました(苦笑)
なので、これを機に読みたいと思います。ドストエフスキー

 

大島優子ちゃんの舞台をまた観に行きたいなと思いました。
もちろん、麻実れい様の舞台もまた行こうと思います。

舞台『罪と罰』、とても面白かったです☆